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神戸進軍の7日間
1995年1月17日5時46分、震度7発生!本社崩壊・・・
家族の死・・・
被災しながらも市民のために新聞を出し続けた記者達の闘い・・・
瓦礫の街に届いた希望と絆・・・
胸に迫る実話

神戸新聞の写真記者の三津山(桜井翔)

まぁ、実話ですがテレビなんで脚色ありますがって前提で

すが

涙ですわ。

なんとしても新聞を出す。

すいません。すいませんと言いながら
シャッターを切る金居(萩原聖人)
対象はお母さんを捜してる少年なんですが
お母さん骨なんですわ
焼けちゃって、バラバラ

うーーn

報道ってなんだろう
記録・・・


あまりの惨状を目の当たりにした三津山(桜井)は写真が撮れ無くなる
ほいで山根さん(内藤剛志)に言われる。
親を亡くした。恋人を亡くした。
お前やったらどうおもうんや
その思いを記録して伝える。
それが俺ら新聞記者の役目や


1995年1月20日付
震災4日目の神戸新聞 朝刊 社説

『被災者になってわかったこと』

あの烈震で家が倒壊し
階下の老いた父が生き埋めになった

いくら呼んでも返事がない
誰に救いを求めたらよいのか途方に暮れる

日が暮れる
寒くて 食べ物も水も乏しい

廃材でたき火をする

いつまで辛抱すれば
生存の不安は安らぐのか

情報が欲しい

翌日が明ける

救助本部に行く

生きている可能性の高い人からやっている

お宅は何時なるかわからない
分かってほしいといわれる

理解できる

理解できるが やりきれない

これまで被災者の気持ちが
本当に分かっていなかった自分に気づく

(結び)被災者の不安やつらさに、どれだけこたえ、ねぎらう用意があったか


これ、自分の父が発見されたが亡くなっていたあとにかいたとされるもの
三木論説委員長(山本圭)


うーーん

地震による死亡者

加賀美祥子さん(32) 神戸市東灘区

三津山(桜井)が思いよ寄せていた人だろう

震災で何も残ってない。
三津山(桜井)は棺桶の中の彼女を撮る訳よ

もう、これでもかk、これでもかと涙が出てるわけよ

・・・


忘れちゃいかん
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